大学Times Vol.24(2017年4月発行)
獣医師の「職場」としてまず浮かぶのが動物病院。そのほか動物園・牧場・養鶏場・厩舎などがあげられるが、全国の水族館にも獣医師が勤務し、イルカやペンギンなど「海獣」たちの治療や健康管理を行っている。日本獣医生命科学大学を卒業後、水族館獣医師として活躍する田中悠介さんに話を伺った。
麻酔で沈静化したオタリアに気管チューブを入れ、白内障の治療。
他の水族館や動物の眼科専門医の協力を得て処置を実施
元々英語が好きで、初めは英語の先生など語学を活かした職業に就きたいと思っていました。高校2年の進路別コース決定の時に、科学も好きだったので文系と理系を迷っていたところ「理系から文系には変更できる」という先生のアドバイスで理系を選択。実家で犬を飼っていたことや、当時放映された獣医師が主人公のテレビドラマなどから、獣医師の仕事に興味を持つようになり、大学受験のときは語学系との迷いもありましたが、獣医師をめざして日本獣医生命科学大学へ進学しました。
日本獣医生命科学大学を選択したのは、当時「動物医療センター」ができたばかりでとても魅力的だったことや、埼玉の実家から通えることも理由となりました。
大学時代は3年生から沖縄県の美ら海水族館、愛知県の南知多ビーチランド、山口県の下関海響館(市立しものせき水族館)の3か所へ実習に行ったことが今も心に残っています。その時の体験が、水族館の獣医師を志すきっかけにもなりました。
美ら海水族館は大学との共同研究を行っていたこともあり、教授からの誘いで水族館実習として2週間滞在しました。沖縄の美しい環境にも感動しましたが、そこでは将来水族館で働きたいという専門学校生たちと出会って情報交換をしたり、将来の夢を語り合ったりしながら「水族館はとても魅力的な施設だな」と日々実感しました。美ら海での貴重な経験が、現在の仕事の原点にもなっています。
イロワケイルカのトレーニング。
現場の飼育員と一緒に情報交換や体調の異変に気付く機会に
美ら海水族館は国営で施設も充実していますが、日本中の水族館が同じような環境ではありません。大学の教授からも「水族館に興味を持ったのならば、もっと他の水族館も見ておいたほうがいい」とアドバイスをもらい、その後も積極的に実習に行きました。2回目の実習先だった南知多ビーチランドは飼育実習として参加しましたので、本来は獣医師の仕事ではない動物のエサ作りや掃除も行い、より深く動物たちと関わりました。大学にはイルカもペンギンもいないので、海獣たちと直接ふれ合える飼育実習はとても重要だったと感じています。3回目の下関海響館での実習のときに、水族館勤務の獣医師になる意思を固めました。
最初の勤務先となった宮城県の松島水族館へは、大学教授からの誘いで採用試験を受け、就職が決まりました。大学では水生生物の病理研究(基礎研究)が専門のため、動物の治療を行ったことがなかったのですが、経験者の獣医の仕事を見ながら勤務できる安心感や、数年後に新しい水族館として移転する計画なども魅力的でした。住み慣れた関東を離れることに両親も驚いていましたが、最後は自分で決めた道を応援してくれました。
採用試験で初めて訪れた仙台や松島は、「自然豊かで緑がきれいな街だな」と、とても感動したのを覚えています。
アシカのトレーニング下での採血。
動物と人間双方の負担や危険を考慮した健康管理
大学時代の水族館実習で少しは理解していたつもりでしたが、入社当時は理想と現実とのギャップに戸惑うこともありました。松島水族館だけでなく、どの水族館も獣医師は飼育員の仕事も兼務しています。私は入社して早々にイルカの出産や、海岸に迷い込んだ野生イルカの救出などの稀有な仕事が続きましたが、その難局を飼育員たちと知恵を出し合い、協力して乗り越えられたことで、信頼関係が育まれたような気がします。
また、先輩飼育員からは「動物たちは朝の行動に変化が出やすいので、見逃さないようにする」ことを教わりました。水族館の動物たちは、観客に見られている時間帯は本性を表さないことが多いので、誰もいない朝が変化に気付くチャンスでもあります。
現在の仕事の約8割は飼育の仕事、2割が獣医師の仕事です。海獣チーム、パフォーマンスチーム、魚類チームといったレーンごとで行動していますが、獣医師は2名しかいないで、パフォーマンスのMCや動物のエサ作り、掃除も行いながら、合間で採血など動物たちを診ているのが現状です。それだけに飼育員同士のコミュニケーションはとても大切で、獣医師も飼育を一緒に行うことで動物たちと深く関わり、情報を共有することの重要性を日々実感しています。
2011年3月11日は松島で被災しました。どこも大変な状況でしたが、モチベーションを保ちながら動物たちのケアと水族館の復旧作業に奮闘していたある日、ビーバーが3頭続けて命を落とす事態に見舞われました。津波にも流されず体調や食欲に変化がなかったものの、震災直後に大量の海水を飲み、水槽に入った泥水の影響で、脱水症状や低体温症になっていたことに早く気付けなかったことが、悔やまれてなりません。
東日本大震災から6年が経ち、今思うのは地元・宮城のために力を尽くそう、ということです。水族館で働く獣医師の立場から、宮城の自然の美しさや地元の魚、生き物を多くの人に知ってもらいたい、と考えています。当水族館には近海の珍しい生きものを展示していますので、この場所から獣医師としてできることをしてゆきたいです。
水族館の獣医師は、動物病院のように生きものを診察するだけではない環境にあります。水族館自体がメッセージ性のある施設であり、社会に対して何か訴えかけることのできる場所だと思うのです。飼育員の立場とは違った、獣医師からの目線で水生動物を広く知ってもらうことができないかと大学時代から考え始め、南知多や下関の実習で確信しました。
大学を卒業し、宮城へ来てから8年が経ちましたが、周りの方々に支えられて充実した毎日を送っているので、その恩返しもしたいという思いに至っています。
自分一人で助けられる動物の数には限界があるので、自分が行ってきた動物治療の知識や経験を、広く共有したいと考えています。たとえば自分の成功体験を、他の水族館でも活かせないか、そのためのネットワークづくりができないかということです。
獣医師は専門職であり、日々の治療を行うだけでなく、現場から得た貴重な情報を広めることも重要な役割と考えています。それが専門家同士の情報共有で終わることなく、かみ砕いて広く一般の方々に動物の生態を知ってもらうことで、動物たちの魅力を伝えることにもつながっています。
職場体験で水族館に来る高校生たちの多くが、「やりたいことがわからない」と答えることを気がかりに思うことがあります。今は情報が溢れすぎて、解らなくなっているのかも知れません。若い頃は第一印象だけで好き嫌いせず、チャンスや興味のあることがあったら、何でも経験してみると良いと思います。僕の場合は、それがたまたま「水族館」だったのです。その一歩を踏み出すのは勇気が要りますが、先生方や保護者の方が背中を押すサポートをしてくだされば、いつかきっと興味を持てることが見つかると信じています。
【プロフィール】
たなか ゆうすけ
1984年埼玉県生まれ 県立春日部高等学校から日本獣医生命科学大学獣医学部へ進学、2010年3月卒業。獣医師として2010年4月より2015年5月の閉館まで宮城県・松島水族館勤務。2015年7月オープンの仙台うみの杜水族館に勤務し、獣医師および海獣チームのリーダーとしても活躍中。