いち推し教授特集教授インタビュー
食と農を学際的な視野でつなぐ「人間環境学」“グローバル”と“ローカル”の社会課題に取り組む学びとは~法政大学~

大学Times Vol.53(2024年7月発行)

【いち推し教授特集】教授インタビュー 法政大学

大学における“食と農”の学びは、栄養学や食品科学に代表されるようなサイエンス重視が一般的だった。しかし文化や歴史・地理、経済など文系の立場から食と農にアプローチし、従来の学問の枠を超えた新しい知のあり方を探究する法政大学の人間環境学部は、身近な社会課題を人文学の側面から捉えた独創的な学びの場として今、注目されている。湯澤規子教授に話を伺った。

法政大学 人間環境学部 教授
湯澤 規子(ゆざわ のりこ)
専攻分野:人文地理学、地域経済学、農村社会学、地域史・産業史

栄養学とは一線を画した文理融合の“食と農”の研究領域

本学部で学ぶ“食と農”は、食物を物質として知る栄養学や食品科学、生物資源科学ではなく、人間の文化としての食、例えば「食とは?」「食べるとは?」といった人文学からのアプローチです。哲学や倫理学、経済学などいろいろな方向から光を当てて、食と農を総合知として学ぶ文理融合の学問です。私は元々歴史地理学を研究・教育し、国内外の農村や食糧生産地へ取材・検証するフィールドワークを重ねて研究を深め、多数の著書を上梓しています(写真参照)。

研究の出発点は、高校生の時に食に興味を持ち、将来は栄養士を志して自分なりに調べたものの、「栄養学は私の知りたい食の世界ではなかった」ことへの気付きにありました。いわゆるサイエンスとしての食ではなく、食べることの楽しさや生産者についてなど、食文化へのアプローチに興味があったのです。今の高校生の中には、食に興味を持っても「何学部で学べるのかわからない」という疑問があるかもしれません。それはこれまでに学問分野が確立されていないだけなので、文理融合の学際的な学びや研究ができる「人間環境学部」の可能性に注目してもらえればと思います。

子どもの食育にも“食文化へのアプローチ”をプラス

これまでも「食べることに興味を持って農学部で学び、これからの食を担う若者が、食物に入っている物質にしか関心が持てず、食べる風景に思いを寄せたり、『食べるって何?』のような根本的な問いを抜きにして、食テクノロジーの研究者になるのは残念なこと」という思いがありました。食文化は国によっても違いがありますので、サイエンスのみに偏ることなく、対象地域の社会や文化を一緒に考え、哲学や経済などをプラスして自らの問いを発見し調べるプロセスを楽しむようにしよう、とゼミの学生に話しています。

実際に「食育」を子どもたちに行う際、「ほうれん草には何が入っているか」など栄養学や食品科学からのアプローチだけでは限界があります。「食べる」過程や風景を幅広く捉えた、文化的な側面からの食の話に子どもたちが興味を示すことから、最近では栄養学の研究者からも「食育に食文化を取り入れたい」という声があがっています。

食べることは作業ではなく文化 学生の気付きで広がる将来の進路

最近のフィールドワークでは近郊の農村へ赴き,土壌学者と「土づくり」について取材や分析を行いました。昨今は効率を求めて食の便利さに興味を持っても、「つくること」のおもしろさを知らない若者も少なくありません。農業の生産現場や土壌づくり、手間のかかる料理などは「苦痛な作業」と一括りにされがちですが、本来はおもしろいものなのです。コロナ禍では巣ごもり生活の中で、料理をはじめとした創造活動に目覚めた人も多く、手間のかかる作業の楽しさとともに、つくることへ関心が寄せられました。しかし他方では、話題の「完全栄養食」だけで生活する人など“食べることの作業化”が話題になり、効率ばかり求めて食を楽しめない若者がいる傾向を懸念しています。

私の授業では「食ものがたり」として、食にまつわるエピソードを学生に書いてもらい、シェアしています。「食ものがたり」を通じて他者への想像力と食の奥深さに気付き、食べることは「作業ではなく、文化だ」ということを知るきっかけにもなっています。日本は食料自給率が年々低下し、政府による「自給率を上げよう」との啓蒙もありますが、学生各々の「食ものがたり」のシェアによって食への関心が改善されていると実感しています。先日も学生が「東京の地場食糧」の調査から江戸の伝統野菜を知り、都市近郊農業の大切さや担う人への共感力を醸成することにつながりました。そして卒業後は米やワインのバイヤーになった学生、実家の花き農業の可能性に気付き、大手生花商社へ就職した学生など、多様でユニークな進路を選択し活躍しています。食品科学や栄養学とは一線を画した食と農を、本学部で学び深めているのです。

地場農産品の価値を“グローバル”と“ローカル”の2つの軸から検証

食と農は身近な課題である反面、広すぎて迷子になる恐れもあるので、補助線を付けるべく、大学では新しい眼鏡をみつけて理論を頭に入れる必要があります。地域資源としての農産品の価値について考えるとき、右図の「地域資源マトリクス」をもとにグローバルやローカル(地域振興)の2つの軸を学んで複合的な視点を養い「グローカル脳」を育みます。例えば地域資源(例:ワイン)を「世界で戦える地場産ワインをたくさん生産して世界展開したい」場合はBゾーンに位置付けします。しかし、地域住民の生活文化のためのワインとして残したいケースはCゾーン、若干の余剰が出た場合のみ流通しても良いケースはDゾーンに位置付けされ、食文化の背景に鑑みた複合的な議論の軸になります。生産者が「自分たちの農産品にはそれほど価値がない」と考えた場合でも、このマトリクスを用いて議論を重ねることで、時代に即した価値の創造を明らかにしていくことができます。

モザイク状の多様な世界をめざし手の届く食糧供給網の再構築を

世界の人々の暮らしは長い間多様だったのですが、近年は画一化に向かっています。大企業のチェーン展開によって、今や世界のどこでもコーヒーが飲めてチョコレートやケーキが食べられるようになりましたが、原材料の不作による価格の高騰が毎年のように発生し、食材の画一化による負担やリスクが大きくなっています。皆が同じ食糧を生産するために砂漠を農地に替えることが最善策ではなく、世界がモザイク状に多様であるといいなと考えています。小麦などはコスパの面からも輸入が推進されてきましたが、世界のどこかで干ばつが発生し、戦争で農作物が生産輸出できない状況に陥っても、国内産である程度は賄える体制にするべきです。日本では二毛作として小麦を生産してきた歴史があり、その小麦を使ったパンやパスタを“地元の味”として地域に価値を残すことが、リスク管理にもなるという考えです。郷土料理のように、その地域に在ることで価値を高める食糧網の再構築が必要ではないかと思います。

食と農に興味のある高校生へ

「ガストロノミー」は日本語で「美食」と訳しますが、食の美しさとは「多面性」です。視覚だけではない食文化に対し、フィールドワークを含め五感を使った学びを大切にしてほしいです。これからは、学びをコラボレーションできる力、答えのない問いを探究し、目前の課題に楽しく立ち向かえる人が求められます。本学部では「サイエンス×人文学」「グローバル×ローカル」など、新しい価値の創造が待っています。興味のある高校生は、身近な食と農の話題について、自分の体験を自分の言葉で話せるリテラシーを大切にしてほしいと思っています。